2021年3月11日(木曜日)
絶対に忘れることのない未曾有の大震災から本日で10年となりました。
あっという間に5年、そして10年と節目を迎えてしまいました。
最近になって、少しずつ風化されつつあり、この日になると、毎年のように悲しくなってしまいます。
節目を迎えた今年、今だからこそ震災を体験した私たちは何を伝えればいいか?
東日本大震災では、地震の揺れでの被害は比較的少なかったものの、震源が沖合の海底で発生したことで、揺れの後に誰もが経験したことがなかった巨大な津波で多くの大切な資産、人々などが流され亡くなってしまいました。
この震災で亡くなられた人は、2021年現在で2万2,000人となっています。
また、沖合に流されて、今もなお2,500人ほどの行方も分からないままとなっています。
私の親戚も何人か亡くなっていて、その中には「津波はここまで来ないだろう。」と思い込み、避難しなかったことが原因で津波によって亡くなっています。
10年前の私は、まだ中学3年生でした。
学校から帰宅直後に経験したことない激しい揺れに襲われ、そして、その後の停電でどういう状況か分からず、暗闇の中 絶え間なく続く地震の揺れに怯えて殆ど眠れなかったことを今でも覚えています。
停電が復旧した翌朝、テレビに映し出された映像に、「ここは本当に日本国内の映像なのか」と疑い、すぐには受け入れられなかった。
プロフィールを見ている人はお分かりと思いますが、私の出身は岩手県 沿岸部の宮古市。今は広い面積の宮古市ですが、その北部に位置する旧田老町が私の出身地です。
私の生まれ故郷は、幾度も津波に襲われたことを受けて、2重の強固な防潮堤があり、この防潮堤に守られる形で町が広がっていて、町一番の自慢でした。
あの時の津波は、この防潮堤を破壊して襲いました。
震災の翌月に急遽帰省した時は瓦礫の山、見慣れた町並みが跡形もなく無くなった光景を見た時は涙が出ました。
子供の頃によく遊びに行った個人スーパー。
よくおやつを買いに行ったお菓子屋さん。
そして、そのお菓子屋さんの近くにあった食堂。
記憶の中にある光景が全て無くなっていました。
津波... 思い出を全て流されてしまった津波が本当に憎い。
津波さえ発生しなければ、ここまでの大惨事になることはまず無かったと思う。
そして、傷付いた生まれ故郷も見ること無かった。
あの日さえ無ければ、私が知っている故郷の街並みが今後もいつまでも見ることができた。
2004年にインドネシア スマトラ島の沖合で発生した大津波を伴う地震で、インド洋の沿岸地域で大被害が発生し、大勢の現地の住民が津波により亡くなった災害がありましたが、あの地震から7年後 日本で、しかも生まれ故郷を含む地域で起こるとは思ってもいませんでした。
地震は自然に起こる現象。
毎日、国内のどこかで地震が発生し、地震大国とも言われてる日本では、住んでいる以上、回避することもできない現象です。
だから、事前に対策を行わなければならない。
地震が起こればまずは避難。
気象庁の津波予報も参考に、発表すれば真っ先に高台に避難する。
「津波は必ず襲ってくる」と意識しながら行動するのも良いと思う。
まず一番に自分や周りの身、財産や資産は二の次。
スムーズな避難ができるように、日頃からすぐにでも持ち出せる場所に、避難用の持ち出しグッズを準備することも大切なことだと思う。
震災から10年を迎えたからこそ、改めてこの災害は非常に恐ろしいものだったことを思い出して欲しい。
そして、最悪なケースにならないようにするにはどうしたらいいのか、もう一度考え直すキッカケになればと思いこの事を書いてみました。